日本最西端
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毎年11月開催 |
【与那国島一周マラソン 公式HP】 【記録】
大会開催要項 (ランナーズHP大会ガイド)
与那国島観光案内 (与那国町商工観光課HP)
〃 見・歩・食・泊情報(美ら島物語HP)
与那国島の紹介 |
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与那国島 ~ 牛馬は草を食み、蝶が舞う、古き歌と踊りが伝承される最果ての島 ~ ●与那国島の歴史 : 琉球王府の統制下に入る15世紀より以前、サンアイイソバという女傑が島を守っていた。遺跡の出土品などからは台湾・中国との交易の後もうかがえ、また牛に水田を踏ませ稲を耕作する稲作文化も定着し米の自給が行われており島民は厳しい自然ながら独自の自立した自由な生活を確立していた。その後琉球国中山の配下になると入貢が始まり、17世紀に琉球が薩摩藩の支配下に置かれてからは薩摩藩への入貢も含めた人頭税が導入され島民の生活は急激に苦しいものになっていった。当時の生産性から試算したところ税率80%との数字もあるとても過酷なものだった。行政統治するため石垣・宮古には配置していた頭職は遠方で島が小さかったためか与那国島には頭候補が置かれた程度で特別行政区といった位置づけだった。入貢以外は中央政府の統制力は石垣・宮古よりは薄かったと思われる。大正から昭和にかけては台湾との交易も賑わい、人頭税も廃止され島民の生活は次第に安定してきた。長年の念願だった牛の伝染病を媒介するオウシマダニの根絶も平成に入って実現され牛の出荷も自由になり、ダイビングに代表される観光業と合わせ現在与那国島は発展の時代を迎えている。 ●与那国島の産業・名産品 : カジキまぐろ、肉牛、さとうきび、与那国織、泡盛(どなん・与那国島・まいふな)、長命草(お茶・そば)、 ●与那国島散策 : 島内の人口は約1800人と多くはないため主要な3つの集落の祖内・久部良・比川も各々こじんまりとして静かなたたずまいだ。その中でも祖内が島内で最も大きな集落で民族資料館・伝統工芸館があり昔の島民の生活や与那国織の様子が見学できる。どなん・与那国島・まいふな3つの泡盛酒造所も祖内にあり見学させてもらえ、酒好きの方には泡盛の香りを嗅ぐだけでも価値がある。100万年前の活発な地殻変動で誕生した小さな島であるが中央部には山がそびえ海岸線は琉球石灰岩や石灰質砂岩の侵食により飽きの来ない変化にとんだ景観を見せてくれる。特に東崎(あがりざき)から比川にかけての南東側の断崖絶壁、南西側の溶岩にも似た琉球石灰岩が所々顔を出す海岸線が目を楽しませる。そして最西端の碑が立つ西崎(いりざき)での夕日は必見だ。晴れていれば台湾の大地に沈む夕日が見れるが雲がかかっていることがほとんどで冬場の風の強い日なら時々見えると言う。それでも澄んだ空気の中オレンジ色に焼ける空を眺めるだけでも最果ての島に来たことを感じさせてくれる場所である。 うれしいことに年に何回か行われる闘牛も大会前日に行われる。牛のようで牛でなし、怪獣にも見える迫力満点の闘牛を見てアドレナリンを分泌させよう。 ●与那国島への交通 : 沖縄那覇空港から飛行機で1時間30分(水・金・日 3便/週)、石垣空港から飛行機で30分(2便/日)、石垣港フェリーターミナルからフェリーで4時間(2便/週) |
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与那国島一周マラソンの紹介 |
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●大会の生い立ち : 平成5年、その当時10名程の少人数だった与那国島の走遊会が島一周のマラソン大会を立ち上げた。初回ながら参加人数は100名を越えた。翌年の第2回大会からは地域振興に貢献する大会運営を目指し、町長を大会会長にし与那国町役場が運営全般を行うようになった。ジョギングブームとも相まって島内のジョギング愛好者も増えてきたと言う。島民が1800名余の中、24kmとはいえ大会を支えてくれるボランティアの捻出は大変なようだ。役場職員が総動員の上、エイドは主に島内の中学生の協力を仰ぎ、ゴール後のふれあいパーティーは婦人会の方々がてきぱきと切り盛りしている。エイドには24kmコースとしては比較的豪華な品揃え、参加賞には島内の泡盛を差し出し、会場には温水のシャワー設備を臨時に設置したりと申し訳ないくらいのもてなしをしてくれている。こうなると当然参加費用のみでは赤字となり厳しい町の予算から補填して開催していると言う。エイドのはしゃぎながらも一生懸命な中学生や会場の元気なご婦人方の動きが印象的な大会だ。 ●エイドステーション : 水・スポーツドリンク・コーラ・バナナ・レモン・梅干・黒糖・塩・スポンジ ●2004年大会記録
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